誰かの死から学ぶこと


先日からの続きですが、
日曜日、日の出をみて、清々しい気持ちになりました。
夕日とは違う美しさにハッとさせられることも
あり。

友人がすでにこの時、日本で死の淵にいることも気がつかず。

生活、とはそういうものです。

生まれ来る朝、そして夕日が落ちる西に帰る人たちの
中に彼女が入っていったのも運命であったのでしょう。


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わたしは遠方に住んでいることもあり、日本で友人が亡くなっても葬儀にでることは
できません。祖父母の死にも立ちあうことがありませんでした。
死に直接ふれることがない日々、昨年はオランダ人の知人のお母様が老衰で亡くなられてその前に
お見舞いにいくと、まもなく、お別れなんだな、とそういった感覚でおります。
西に帰る人々を見送る予感のする時間はしんみりとさびしく。

死という事は
様々なことをわたしたちに伝えてくれます。
いつかすべて終わりがきますが、
私の人生の中で、だれかの死によって伝わってきたことが2度ありました。

中学時代の塾の先生が、わたしが高校生の時に自死されました。
葬儀がおわってから、家を訪ねると、憔悴した老いたご両親の姿、
実は、一人娘さんであった先生は、優等生で、適齢期を迎え、親が進めるお見合いに気乗りせず
次第に精神を病んでいかれました。そして、ある日、命を絶たれました。

自分の生き様をはっきりさせないと、過保護な両親のもとでは自分がつぶれていくというのを
はっきり自覚した17歳、
私には、両親が過保護すぎるところがあり、それが大きな不安となっていました。そして、この
先生の死から、自分が将来、親にすべてのことを決められるのではないかという恐れ、そして
20代すぐに、自らそこを抜けないと、後悔する人生になると感じ、ほぼ10年かけて、親離れを実行しました。

離れる苦しさは、いまでも覚えていますが、死にいたるよりは楽であります。

そして、きちんと親から離れ、親もまた学習し、お互いの学びとなると、
今度は、両親の老いに対して正面から向き合える状態になれた、と思います。

こういった心の状態になったことは昔のわたしからは考えられないことですし、
スタートは17歳、かれこれ、25年前のことです。ずいぶんと長い旅をしました。

おかげで芯がずれないことで、環境がかわっても変わらない自分でいられることを目標にすることが
できました。

それぞれの生き方、チェンジするきっかけはそれぞれですが
誰かの死がきっかけになることもあり、
いろいろな人たちから伝えられるメッセージの重さを今、感じています。




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by tubaki_hana | 2014-05-28 06:17 | 生命力