高齢者への言葉掛け、怒ることにも理由がある。

以前と重複する内容もあるかと思います。認知症の症状についての記載です。

父がアルツハイマーと診断されたのが、2013年の1月でした。
その前の月、年末でしたが、いつもになく元気がなく、大みそか、0時をまわる前に布団を引き、寝てしまったのです。
いつもであれば、家長である父ですから、年明けの挨拶は欠かしたことがなかったのに。

すこしぼんやりして
やる気がない父に、母はわたしの荷物のまとめを手伝うように父にお願いしました。
手元がまとわりつく父に、母はそうではない、ああではないと指示を出し始め、ついに父は
怒り始めました。

お母さんお願い、一度頼んだことは、それが失敗したとしても、人を責めることは間違っているよ、と
いうと、母も時間の無駄だからそういうの!と双方が起こり始め、背中に襲いかかる不安を感じました。

わたしが、いなくなった1月末の寒い日。父は病院にいくといったまま
家に夕飯になってももどってきませんでした。
病院の敷地内で接触事故を起こして、保険やさんなどが処理して下さったそうなのですが
当たった相手が悪かった、外車の持ち主(女性)で、口元がまわらない父にたいして、頭がおかしいなどと
暴言を吐いていた、と、つまり、謝らなかった父にたいして、許せないという態度。

家にもどって心配していた母に一言「頭がおかしいっていわれた」と、
すこし笑ったような顔をして、言ったので、その一言に母も傷つき、翌日、脳外科を受診しようか、と
いう提案に父も頷いたといういきさつです。それから通院がはじまりました。

約一年後、

気がつけば、警察署の中に父は
いれられていました。警察側が認知症という診断を正式に病院からもらっても、
取り調べは続きました。病名がみとめられない場合は、なんらか罪にとわれることになったのでしょうが
責任能力がない、ということでした。が、

わかっていても、彼らは、彼らの仕事として、長い時間、父を拘束し、
母はそれでまた、心労が重なりました。

わたしもこの件に関してはぜひ、県警本部に、この処理が適切であったのかきいてみたいと
いまでも思っています。

地域での取り組みという言葉だけが、独り歩きし
なにかおきると、病人でも、一般人と扱いがかわらず、この日付き添った叔父が
一言、意見をいうと、「わたしたちも仕事ですから」と、いうことでした。

これを気に
父もいろいろなことをあきらめたのか、以前よりも、怒ることがへりました。また気力も
衰えたような感じです。

携帯電話もGPS付きにして
父がどこにいるのか、確認できるようにしましたが
今度は、電話がなっているのと間違えて、切ってしまうのです。
この件に関して、ドコモショップで相談をしましたが、
検索をかけて、本人がOKをださないと検索できないシステムになっているため、どうにもならないと。

これもまた、改善が必要かと思われます。

と、ここまで、書きますと、どんどん症状がすすんでいるように思えますが
実は、母はこういいます。
病名がわかってよかった、と。
この数年、意味も解らず怒りだしたり、理解できないことをいわれて、喧嘩になったりと
ありましたが、
いま、実は穏やかに暮らせているのです。
一つは、家族の会話が増えたことや
また、理由はわかりませんが、
ここまで生きてきて、初めて、父の近くで寄りそう事ができたという実感もあります。

もちろん、よく怒ります。母は電話で父が怒ったことなどを報告してくるのですが
やはり、なにか、理由があるのです。

一つ、一つ、理由をひも解いていくと誤解があっていることや
すぐに決めつけないこと、
一呼吸おいてみること、など、まずは見守ることも大切なことかと思います。

この夏、家族で旅行をしました。
島でした。父がトイレにいく際には、姉が、わたしについていくようにいうのですが
すこし離れて、父が気がつかないように、こっそりとついていくと
初めての場所でも、男子トイレにはいり、でてきたら、レストランの席に自分で戻っていっていました。

すべてを先導せずに、まずは黒子に徹することも
介護者は慣れておくのも必要ですよね。

昨年の12月、父は一人で、近所の交番に「相談」にいきました。
夕方、交番から電話があって、うちの父がやってきて、免許の件で相談されたと連絡してくださり
あわてて、交番へと私がいったのですが、父はすでに要件は住んでおり、るんるんと足取り軽く
家に帰っているのを友人の車から目撃。交番のドアをあけ、ご迷惑をおかけして、と話すと、
そのおまわりさんもお母様が認知症で、介護が大変だとおっしゃっていました。

いろいろと話すと

「お父さんがこうなって、ショックでしょう」といわれて、

いえ、実は、今が私は一番幸せです。以前は父の横にいることも怖かったのです、と打ち明けると
あちらは、きょとんとされていましたが、

実際はそうなのです。長い間の戦いが終了したという涙でした。

いま、父は70歳後半になって、カメラにむかって、笑う事を許すようになりました。
いままで、ほとんど笑う事がない父でした。




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by tubaki_hana | 2014-10-01 04:01 | 認知症