<   2014年 09月 ( 1 )   > この月の画像一覧

父が認知症になって2年近くになります。

皆様、ご無沙汰しております。
ブログ更新が怠っているのにもかかわらず、ご訪問いただきありがとうございました。

しばらく、というか、何度も繰り返す波のような、どうしていいのかわからぬ気持ちに
向き合い、暮らしておりました。

ここに、書きたい、と思っていた父の認知症の件も
FBなどに書くと、従兄弟や親せきが知ることとなり、それを耳にした母が、インターネットはやめてほしいと
いうほどに、母は不安を感じました。それでも、いまの父の状態をメモし、いつか、人のお役にたてばいいと
思う気持ちと、わたしがこのように表に出して書くという行為に、なにかがあわない、状態でした。

このTree of lifeは、ほとんど知人、親戚にしられることのない存在である、とわかっていますが
それでも、父のことをかくことで、今度は、本当に知られてしまう恐怖感。

でも、今、香港に住んでいるShimiさんという植物治療家の方とアロマオイルの件にたいして、話しているうちに
ここに父のことを書いてほしい、とおっしゃってくださいました。

今日から、しばらく、綴っていきたいと思います。
また、夏前には、オランダにある認知症施設を訪問することになりました。これもまたレポートさせて頂きます。

さて、昨年、すこし書いた父の件ですが、
アルツハイマーと診断が下り、それにたいしての大きな不安感が押し寄せ、数か月は涙がとまりませんでした。
仕事もうまくいきませんでした。
すべてが空振りして、しんどい。

どうして、こうなるのだろうか、という気持ちと
遠くにいる親不孝を感じ、また、姉妹の気持ちが合わないという、まあ、ありがちな状態にもなりました。

父がおかしくなったのは、それからでした。

病名が告げられ、まず、自動車の運転をやめてほしいと、車を家から話し、免許証を預かりました。

最初は、数か月で車に乗れると信じていた父は、免許証がないことを怒り始め、預かっていた姉にたいして
電話で怒鳴るようになりました。それは一日に数回。次第に最初は張り切っていた姉が、
正面から受け止めすぎたのか、電話をとらなくなりました。

お願い、病気だから、話してあげて、と。

それでも、止まらぬ父の暴言と、免許証がなければ、紛失したことにして、試験場に再交付にいこうとし、
海外からではありましたが、国際電話で、運転免許所に相談しました。まさに、父が、翌日、いくところでした。
事情を理解してくださった担当の人は、窓口に告げ、また、別に連絡先をお知らせしたことから、
父が帰った後に、どうであったか、教えて下さいました。

どうしても、父が運転したいという気持ちを
押さえる、また、あきらめることに家族、親戚と、頭を悩ませ、遠くに離れていても
心配でした。

姉がまいってしまったので
今度はわたしが父の免許証を預かりました。こうすることで、姉のところにまで押し掛けるということは
ないという理由でした。

お父さんごめんなさい、という気持ち。

わたしが預かっていることを知ると、今度は、父はハガキを書いてきました。それも二回。

私が盗んだということで、被害届を出すと書いてあり、
家族から犯罪者がでてもいいのか、という言葉には、病気といえども、やはり、きつい思いをしました。

それから、思いきって電話をしました。

「おまえがもっているのか」といわれたので、はい、というと
送り返せ、というのです。
どうするの、というと、返納する、といったので
返納するのは、わたしが帰ってからでもいいでしょう、というと、とにかく送れと電話口で怒鳴る、

そして、次にかけたときに
「もうおくったか?」ときいてくるので、

おくったよ、国際郵便でパスポートや免許証、クレジットカードはおくったら駄目なんだよ、
盗まれるかもしれないから、でも、おとうさんがどうしてもといったから、おくったからね、
たぶん盗られると思うけどね、わたしは盗られたことがあるから、届くといいね、といいました。

もちろん、1カ月たっても届く訳がありません。

届かない、といいだしたので
盗まれても当たり前、といったでしょう、お父さんが欲しいといったから、おくったからね、
というと、それからなにも言わなくなりました。

が、その半年後に、父自身が、反省すべき出来事が起き
この問題は収束していったようです。

病院の先生は、しばらくするとあきらめる、とおっしゃいましたが、父の場合は、そうではありませんでした。
インターネットで調べると
全国、同じ問題の方が多く、死亡事故も数回、新聞でみることとなりました。

ちなみに家族間の会話で、もし、わたしが父だったら、いわれたくないな、と思った言葉をここに
書いておきます。

お父さんが運転して、誰かを死なせたら、わたしたちも困る。
保険もでない、一家離散で家もなくなる、

と、姉は本人に直接いっていましたし、わたしにもいっていました。
その気持ちもわかりますが、結局は、自分が困る、ということを全面に出し
本人の気持ちに寄りそうという方向性ではありませんでした。

兄弟、姉妹は違ってあたりまえですし、姉は間違えたことはいっていないのです。
しかし、この言葉をきくたびに逆上していたのは父なのです。

そして、田舎暮らしでありますから、車がないと、買いものも時には厳しく。
母が、もう車はいいよね、というと、「自動車がなくて、おまえはいいのか!!!」と怒りだす始末。

でもこの言葉の裏には
老いたとしても、母の買いものに付き合い、一緒にドライブして、手伝うという、
頼ってほしいという、気持の裏返しであったのではないかな、と思います。

様々なことがありましたが
今はすこし症状がすすみ、車のこともいわなくなりました。
リハビリに通うようになり
それでも、リハビリからくる送迎バスにはのりたくないと言い張り、朝、夕、歩いて母が送り迎えを
している状態です。バスにのりたくない、というのは自尊心でしょう。

数年前は、わたしの生き方が受け入れきれなくて、父は怒鳴っていました。どうして
おまえは普通の人と違うのだ、と。
悩み、苦しんだ20代30代でありましたが、その時間もすでに過ぎ去り、
父とはいつか、会話することもなくなるのだ、と、時間の流れをみとめているうちに
過去のいざこざも流れていきました。

病気というものは、不安、苦しみの原因でもありましが、
また、長年の親子の確執を溶かしてくれる、有難いことでもあるのだと
いま、2年近くになりますが、
人生のサイクルの不思議に身をまかせることにしました。





[PR]

by tubaki_hana | 2014-09-28 05:06 | 生命力